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6/9 2012-13年度ロータリー青少年交換来日生送別会

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ガバナーを囲んで 来日生(サラ)日本語でスピーチ 来日生(右から、カルロス・ジュリア・サラ・フランソワ(下)・ブルーノ・キャリー)

6月9日(日) 2012~13年度青少年交換来日生の最終オリエンテーションが来日生ホストクラブ関係者・カウンセラー・ホストファミリーを迎え三宮東急インで開催されました。石丸ガバナーのユーモアにとんだ英語でのスピーチで始まりました。昨年8月半ば、右も左も解らず、言葉はもちろんの事風習も習慣も全て違う未知の世界に飛び込んできた6名の学生達。5080地区カナダからCallie・4430地区ブラジルからBruno・4100地区からCarlos・1520地区フランスからFrancois・4600地区ブラジルからJulia・7170地区アメリカニューヨークからSarahの6名の学生達です。殆どの学生達が挨拶さえきちんとできないぐらいの語学力でした。其々の学生を思い返しますと、5080地区カナダからのCallieは、11月母親の危篤につき看病したいとの本人の意思により早期帰国しました。カナダ帰国3日後お母さんは亡くなりそして何よりも日本行きを強く勧めてくれた母親の遺志に2カ月後彼女は再び来日して残りのプログラムを最後まで続けました。ブラジルからのBrunoは、小さいころからの夢が日本に来たかった事。彼の夢は将来日本の大学に入り日本人と結婚し、日本に住みたいと言う事でした。彼はブラジル第一の都会であるサンパウロから淡路島に来て、自転車通学した淡路での生活が本当に大好きだと、そしてフランスからのFrancois 彼は、日本でテレビ出演という貴重な経験をしました。アメリカからのSarahは、日本来日当時15歳でした。ニューヨーク州の本当に周りは何もない村から神戸に来てホームシックにかかり泣いていた毎日。メキシコからのCarlos 留学先国の希望は7番目だった日本 そのせいか殆ど日本語も話せない状態に第一ホストママと一生懸命勉強した毎日、そしてもう一人ブラジル・リオからきたJuliaは、すっかり関西弁を通り越し播州弁(妻鹿弁)が身についてしまいました。思い返せば本当に色々な事があった一年でした。来日一カ月に開催された2640地区との合同オリエンでは、学生の間で殆ど日本語は聞けなかったと思います。それから今日まで10カ月・・・色々な体験をしてきました。産まれて初めて見たであろうフンドシ姿の姫路灘まつり、これには全員感動し一泊の予定が我が家に2泊泊ることになりました。学生全員の要望でもあった2泊3日の東京旅行、ディズニーシ―から始まり、銀座・東京タワー・浅草・秋葉原・渋谷と何もかも見るもの全てに驚きの連続でした。そして5月の広島旅行、その他たくさんの観光地にローテックスまたホストファミリーと出かけた事と思います。最後の広島旅行では、原爆資料館で見た悲惨な戦争の爪痕に涙した学生達・楽しかった事・嬉しかった事・本当にたくさんの思い出を作りました。最後にルール違反をした事を、送別会の席で参加者全員の前で本当に心から反省し、みんなに謝り、一年間の感謝の気持ちを述べていました。6名全員の素晴らしい日本語でのスピーチと最後のBrunoの言葉に感動したのはこの日の参加者全員だったのではないでしょうか。 其々の国に帰りこれからの生活に日本で経験した一年を無駄にする事無く成長して行って欲しいと願っております。